どことなくなんとなく

研究の息抜きに綴る適当な文章

読みかける

読みかけの本があると落ち着きます。

何故ならば、読むべき本が存在しているからです。

一日に例え数十分程度でも、「本を読む」ことをすると、何となく気分が違ってきます。

楽しみながら、味わいながら読了するまでの時間を過ごせるのは、とても贅沢であるなあ、と感じています。

なので常に読みかけの本があると幸せなのですが、読み続ければ当然読み終わってしまうので、これは少し難しいです。

今読んでいる本を読み終わる前に、次の本を買わないと。

私の場合、通学に地下鉄を利用していることから、毎日確実に30~40分程度の時間を読書に当てることが可能です。

今も毎日読んでいます。

この本については読み終わって気が向いたらココで感想を書くかもしれませんけど、面倒になったら書きませんのであしからず。

読む本が無いときには電車の中ではボーッとしたり、携帯でゲームをしたりして「時間を潰す」だけになってしまうので、あまり得るところがありません。

ちょくちょく進めていたドラクエ3が、現在ゾーマ城を探索中という有様です。

これらのことも楽しいのですが、読書のような「時間を過ごす」感覚は得られません。

幸いにして、少し大きめの本屋さんに行っただけでも、私が一生かけても読み切れないほどの本で溢れています。

上手にやれば、ずっと「読みかけの本」を所持していられるわけです。

有り難い話です。

「本を読む」ということは、その本の内容を理解したり楽しんだりすることが主目的なのは間違いありませんけど、もう一つ、満足した時間を過ごすということも大きな目的だと思っています。

そのような意味で常に「読みかけの本」があるのは幸せの一つの形です。

少しこれを拡張して考えると、読みかけの専門書があることも、幸せの一つの形のはずです。

そのはずです。